喜望峰王立天文台The Royal Observatory, Cape of Good Hopeが1820年に設立され、
実際の建物はケープタウンの東に1825年から28年にかけて建設された。
ケンブリッジの数学者ファロウズFallowsが初代台長となり、
グリニッジにある子午儀と同じものを備えて南天の星図作成が始まった。
1834年からの3代目台長マクレアMaclearは喜望峰王立天文台を世界一流の研究施設とした。
彼が1866年に発表した地球の子午線の長さは当時もっとも精密なものだったという。
また、1834年から38年にかけてはジョン・ハーシェルJohn Herschelが
北天の星雲サーベイの続きのためにケープに滞在し、南天のサーベイを行なっている。
1864年に彼が発表したカタログは全天で5000以上の星雲・星団を含み、
1888年にドライヤーDreyerがまとめたNGCカタログに受け継がれる。
ユニオン天文台
ボイデン天文台
ラドクリフ天文台
その他、ヨハネスブルクにはイェール天文台(1927-1952、26インチ屈折望遠鏡)、
ブルームフォンテインにはミシガン大学の天文台(1927-1974、27インチ屈折望遠鏡)、
ダーバンにはナタール天文台(1882-1911)があった。
喜望峰王立天文台は1972年に英国と南アフリカとの合意により南アフリカ天文台となり、
主要な望遠鏡はサザーランド観測所に集められた。
サザーランド観測所はケープタウンから東北東に370km、カルーの乾燥地帯の中にあり、
1年を通して天気が良い。1973年3月に南アフリカ共和国フォルスター首相・
英国サッチャー教育相らの出席のもとに開所式が行なわれた。
1999年11月、南アフリカ政府は10mの有効口径を持つ南部アフリカ大望遠鏡プロジェクト(SALT)に
ゴーサインを出し、国際協力のもとでこの大望遠鏡がサザーランド観測所に建設されることになった。
2000年9月には現場のくわ入れ式があり、11月の私たちの望遠鏡の開所式・観測開始とともに
20世紀を締めくくる大きなイベントであった。
2005年の観測開始を目指して急ピッチで建設が行なわれている。
フランス科学アカデミーのラカイユLacailleが1751年から12か月ケープタウンに滞在し、
9800にのぼる南天の星の位置を測定し40の星雲・星団をカタログに記した。
けんびきょう座などの南天の星座も定めた。
19世紀初め、英国ではヨーロッパ大陸に天文学で遅れをとっているとの危機感から、
天文学会(のちの王立天文学会Royal Astronomical Society)ができ、
また喜望峰に天文台を作ることになった。
残念ながらファロウズはしょう紅熱に倒れ、
1831年からは2代目台長のヘンダーソンHendersonが後を継いだ。
彼はケンタウルス座のアルファ星の年周視差の測定に成功している。
(1838年10月ドイツのベッセルがはくちょう座61番星の年周視差を測定したと発表し、
その2か月後にヘンダーソンがこれを発表、続いて1839年後期にロシアからストルーベが
ベガの年周視差を正式発表している。コペルニクス以来追求されてきたものが、
わずか1年の間に3箇所から発表されたのだった!なお、ヘンダーソンのデータは、
実はベッセルが観測を始めてもいない1833年に取られたものだったという。
この遅れの原因は、当時の南アの天文台と望遠鏡が、
残念ながらベッセルやストルーベが使ったフラウンホーファーFraunhofer製の
精密器械のレベルに達していなかったためのようである。
このあたりの事情はSky and Telescope 2001年11月号参照。)
4代目台長のストーンStoneはグリニッジでエアリーAiryの助手だった人で、
1880年にはマクレアからの仕事の集大成として12441個の星の位置を記したケープカタログを出版している。
1879年からはギルGill台長のもとで喜望峰王立天文台は世界最高の天文台となる。
恒星の視差の測定結果は最高の精度を誇った。
広視野の写真を使ったケープ写真星表Cape Photographic Durchmusterungと
天体カタログAstrographic Catalogueが作られた。
ギルが組織した小惑星イリス・ビクトリア・サッフォーの位置観測から太陽の視差・月の質量が導かれ、
それらの値の精度は以後何十年も更新されなかった。ギルは1906年に引退した。
1905年にヨハネスブルクに政府の気象台が設立され、1912年からはユニオン天文台、
1961年からはリパブリック天文台と改名して天文観測もなされた。
写真を使ったサーベイが行なわれ、初代台長のイネスInnesによって
太陽系に最も近い恒星プロキシマ・ケンタウリが発見され、
2代目台長のウッドWoodまで(1941年)で約600個の小惑星が発見された。
1968年に入手した50cm望遠鏡がサザーランド観測所に1972年移設され、
リパブリック天文台は実質上閉鎖された。
ハーバード大学が1927年にペルーのアレキパから
南アフリカのブルームフォンテイン近郊のマーツェルポートにボイデン天文台を移した。
60インチの反射望遠鏡を備え、初代台長のパラスケフォプロスParaskevopoulosは
マゼラン星雲などの変光星の詳細な観測を行なった。
ラドクリフ財団がオックスフォードの天文台を売却し、プレトリアに1939年に天文台を設立し、
南半球で最大の74インチ188cm望遠鏡を購入した。
大戦の影響で主鏡の到着が遅れ、1948年から観測が始まった。
当初OB型星の視線速度決定から銀河系のダイナミクスを決定することにもっぱら使われたのち、
マゼラン雲の星の測光・分光観測で世界をリードした。
この望遠鏡は1974年に南アフリカ政府が購入してサザーランド観測所へ移設、
1976年から観測を再開した。